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『Piece2 空飛ぶ翼』2005-04-18

050418

※小説未満のおはなしのかけら。というかただの小説の覚え書き。導入部。挿し絵はあんま関係ないです。

 少年は眼下に広がる町並のはるか上空を自由に舞っていた。彼は風と自分の身体の使い方を心得ていて自由そのものだった。
 それはこの出来事が現実ではなく夢の中であることを物語っていたが、少年にとって今が夢であることも、夢でなくてはならないことも問題ではなかったし、気づく必要はなかった。
 彼は自分がかつて人間であり、十四歳の少年であり、片田舎の町に叔父と二人で暮らす孤児のパリス・コートンであったことを忘れた。パリスはいまや一組の翼だった。顔も足もそしておそらく内臓器官もない、暑く湿った森の鳥を思わせる鮮やかな極彩色をした翼が、見事に上昇気流を捕らえ天高く舞い上がってはなめらかに滑空していく。空は色とりどりのシュプールでクリスマスプレゼントよろしく飾られ、その中で少年の以前は目であった部分は上へ下へと流れる雲を追って忙し気に回転し、頬は翼に切り裂かれて後方に逃げて行く空気の粒を心地よく受け止めた。
 それでも少年は自らがただの翼であることに疑いを抱かなかったが、視力の限界の先に空と陸との境い──次第に起伏に富んだ輪郭を失っていくぼんやりとした地平線──を見つけた時、ふいに少年達特有の好奇心が彼の中に戻ってきた。翼は一度空中でジャンプして重力の助走をつけると、真直ぐ先を目指した(この世界はどこまで続いているのだろう)。翼は途方もないスピードで世界のふちに向かって飛んだ。するとほどなく翼の身体に異変がおきた。左右の羽根が次第に重くなり、だらりと真下に垂れ下がった。固く冷たい氷の粒が惰性で飛び続ける全身を容赦なく傷つけ、親の敵とでもいうように叩き付ける空気の塊は身体の表面にある水分を残酷に奪っていった。少年は自分の両腕がいまや軽やかな羽根ではなく骨と肉とで形成された紛れもない肉体であることをしり、同時にこれは夢であると悟った。その考えは闇を二つに分ける雷光のように唐突に、絶対的なものとして彼の脳裏を襲った。パリスは咄嗟に両手で耳を覆った。
 夢の世界に裏側はあるのだろうか。夢の世界はどこまで構築されているのだろうか? 僕が認識出来る、触れることの出来る、見ることのできる世界の先にはいったい何があるのだろう。広大な、狭小な、温度のない虚無か、全ての事象と時間と物質が無秩序に混ざりあう混沌か、あるいは同じ風景のコピーの繰り返しか──視界は端のほうから色を失っていった。少年の極彩色は混じりあってうす汚い灰色になった。身体はもはや完全に浮力を失い、彼は際限なく質量を増し続ける重い肉体を抱えたまま、地面に叩き付けられるのを恐ろしく長い時間待つしかなかった。

 パリスは目を覚ますと、小さな指先で上下のまぶたを擦り合わせ、よれたパジャマの裾に目やにを落とした。何万年の眠りから覚めたかのような緩慢な動作で起き上がり、昨日も一昨日もそうしたように、ズボンのゴムの締め付けで赤く色付いた腰を引っ掻きながら、顔を洗うために洗面所へと向かった。
 ベッドルームに隣接した専用の広いバスルームで──叔父は裕福で、変わり者だった──習慣的にうつろいつつある夢の名残りを掻き集めながら鏡の前に立つと、同時にもう一人のパリスが彼を覗き込んだ。
「おはようパリス」
 彼は両親が生きていた頃からの癖で鏡に映った自分自身に挨拶し、まだ眠気が覚めていないのか、直立の姿勢のまま姿見を眺めた。
 端からみれば思春期の子どもがナルシシズムに酔っているのだと思ったことだろう。だが彼の目の焦点、昨日も一昨日もその前もそのずっと前からも見つめ続けてきた自分の顔、それは彼に思いも寄らぬ不安を与えた。そばかすの浮いた白い肌にプリントされた眠た気な瞳と、やや上向いた鼻と、薄い唇をぼんやり眺めるうち、それらがまるで一切の法則性もなく、ただランダムに、幼児が積み木を組み立てるふうに配置されているように思えてきたのだ。これこそが遺伝にのっとった人間の顔のあるべき姿なのだと理解するのに一瞬間かかった。そうと納得した後でも、じっくりと見れば見る程、目の当たりにしている彼が本当に昨日見た自分と同じだったか、昨日の自分は鏡を見たのか、いったいいつ昨日が終わって今日がはじまったのか、刻一刻と確信が揺らいでいく。そもそも僕は何だったか? パリスはギクッとして、そこらに散らばっているものを手当りしだいに触れていった。これはなんだろう──鏡だ。ガラスの裏側に金属を吹き付けたもの、姿を映すためのもの。これは歯ブラシ、プラスチック・ナイロン・歯を磨くもの、これは石鹸、油脂と水酸化ナトリウムの科学反応の結果・酸性の汚れを落とす、これは口臭予防薬、ラベルを剥がしてしまったため内容物は不明。そして僕は──
「僕は人間だろ」
 目の前の分身の唇が動いて、彼に答を教えた。生命、多細胞生物、精神、肉と血あるいはひからびたパンと出来の悪い赤ワイン、水分とタンパク質、その他。でも何のためのもの?
 パリスは思わず身震いして鏡よりやってくる視線から眼を逸らし、腰を屈め、洗面台に手をついてもう一度夢の内容を思い出そうとつとめた。寝汗で濡れた額の生え際にもう一膜の汗が浮かぶ。しかし今朝見た夢を思い返すにはもう遅く、気持ちよく清清しく同時にひどく嫌な夢だったという感情の断片しか思い出せなかった。十四歳の少年はしばらくの間立ち尽くした。バスルームの上部にある格子のはまった小さな窓から、四角い灰色の空が物言わず彼を見つめていた。

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